グエル・ジェタークと懇意になれ、とは学園への入学が決まってすぐ父親に言われたことだった。ベネリットグループトップの成績を誇るジェターク社、その御曹司。長兄で嫡子でもあるグエルと良い関係が築ければ父の会社にとっても都合がいいと、大人の考えそうなことだ。反発するほど無謀でもない俺は適当に頷いて家を出た。どうせ金持ちのボンボンなんてムカつく野郎に決まってると、そう思ったからだ。
ムカつく奴だったのは事実。だけど俺は初めての決闘でグエルが駆るモビルスーツの動きに見惚れていた。相手から繰り出される猛攻をかい潜り繰り出される反撃。どうしたらあんな素早く先を見て操縦できるのか。周囲からグエルを応援する声が沸く。それはそうだ、あんなものを見せられたら。
翌日、講義室には一人端末を見ているグエルがいた。いつも周囲をきゃんきゃん飛び回っている後輩はいない。それからカミルや弟のラウダも。いつもなら離れた席に座るところだが、その日は教室に誰もいないこともあってどうやら魔が差したというか、うっかり足を踏み出したというか。
「……なあ」
「ああ、どうした」
反応は思いの外静かなものだった。もっと居丈高に見られると思っていたのに、凪いだ瞳が立ったままの俺を見上げる。
「昨日の決闘、見事だったな」
思わず口をついて出た言葉。一度出てしまえば引っ込ませることもできない。
グエルはといえば、俺からそんなことを言われると思ってなかった、とでも言いたげに目を円く見開いている。あ、こいつの瞳、晴れた日の空を映しているのか。
「ありがとう」
「……え?」
今、礼を言われたのか? あっさりと、惜しげもなく。見下ろしたその表情は俺の知っている「グエル・ジェターク」とは随分違う。穏やかな、そしてほんの僅かに幼さ――俺たちと同年代の少年らしさを残した表情。
想像上の彼と、今目の前にしている彼と、あまりのギャップに心臓が早鐘のように打つ。
「兄さん」
ひゅっ、と息を飲む。背後から聞こえてきたのは恐ろしく冷たい声だった。
ラウダ・ニール。グエル・ジェタークと同年の弟。
「ラウダ、早かったな」
「そんなに時間のかかることじゃなかったから。兄さんこそ、珍しいね」
最後の言葉には「こんなやつと楽しげに話すなんて」と副音声が聞こえてくる。向けられた視線は涼しげな目元に似つかわしくないほど苛烈なもので、グエルの戦術や戦闘センスに興奮していた気持ちは一瞬で萎んでしまう。
「それで、兄さんに何か用?」
「俺の決闘を見てくれたんだと」
「そう。さすが兄さん、ジェターク寮以外にもファンを増やしているんだね。話し途中で悪いんだけど、決闘委員会から急ぎの用だって」
「シャディクか?」
「うん。兄さんのことを呼びつけるなんてどういうつもりだろう」
「分かった、すぐに行く。悪いな、また今度」
軽く視線を寄越してグエルは教室を後にした。その後ろにいつもの如くラウダが従う。
父の厳命は頭の片隅に残っているものの、叶うならば互いの立場を抜きにしてパイロットとして彼と話ができたらいいのに。それにはあの弟の鉄壁をくぐり抜けなければならないのだが。
「……無理だよなぁ」
がらんとした教室に、独り言はやけに虚しく響いた。
「ラウダ、シャディクに確認したら呼んでないって」
「あれ? ごめん、僕が見間違えたのかも。どうしよう、兄さんは戻る?」
「せっかくこっちまで来たしなあ。食堂でも寄っていくか?」
「いいの?」
「次の講義までまだ少しあるしな」
「うん」
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