なんやかんやあって、学園の修復も進み、何割かの生徒は学園に戻りつつあるという時期。
ラウダとグエルは二人体制でジェターク社を立て直しつつ、学生生活はきちんと送るよう社員たちに言われ復学。現在はフロントと学園を行き来している。
何度かアラームの音を遠くで聞いたような気がする。眠気に抗いながら手を伸ばし端末を探る。かつん、と指先に当たった硬い感触。もぞもぞと掴んで引き寄せ、画面をつけた瞬間。
「うわっ!?」
寝坊だ。やばい。朝食は諦めよう。着替えてダッシュで向かえばなんとか……なるか?
今日に限って講義室までは距離がある。せっかく授業が再開されたというのに、寝坊で遅刻なんて。我ながら情けなさに肩を落とすが落ち込んでいる暇はない。急いで制服に着替え、荷物を掴んで飛び出した。
駆け足で学園と寮との連絡通路に向かう。角を曲がったところで、ちょうど影から出てきた人と思い切りぶつかってしまった。荷物ごと尻餅をついた僕に相手が手を差し出す。
「おっと、……大丈夫か?」
「すみません! 急いでて、って、グエル先輩!?」
よりによって寮長にぶつかるなんて! 後ろにラウダ先輩の姿も見えて余計に緊張する。
「俺も前を見ていなかった。すまないな、怪我はないか?」
「だっ、大丈夫です!!」
手を取っていいのかやめたほうがいいのか一瞬迷って、でも無碍にするのも申し訳なくてそっと手を伸ばす。きゅっと、一回り以上大きな手が握り込んで引っ張り上げてくれる。軽々と。
「――ッ」
「兄さん」
「何でもない」
「あの、どこかぶつけた時に……」
少し目を細めたグエル先輩に、まさかこっちが怪我させたんじゃないかと焦る。でも先輩は笑って「講義に遅れるぞ。急げよ」と落としていた荷物を拾ってくれた。他寮の奴らには尊大だとか言われがちだけど、ジェターク寮の生徒にとってグエル先輩は誰よりも頼れる寮長だし、困った時にはちゃんと相談に乗ってくれる優しい先輩だ。講義だって真面目に受けているし、日々のトレーニングも欠かさないのはジェターク寮生なら誰だって知っている。
あれ? でも今日はどうしてこんな遅い時間にここにいるんだろう。いつもなら始業前に校舎にいるはずなのに。
浮かんだ疑問に、思わずグエル先輩を見上げる。
スレッタ・マーキュリーからホルダーの座を奪い返した時に断髪したらしい短い髪型は相変わらずよく似合ってる。けれど僅かに毛先が濡れているのは、朝シャワーを浴びたからだろうか。そういえばフレグランスの香りもしない。ジェターク生にはグエル先輩のファンも多いが、どこの香水かよく話題になっているくらいいつもつけていたのに。代わりにソープの清潔な香りが漂っている。それに心なしか表情が柔らかい……いや、熱っぽいような? 具合でも悪いのかな。
「あの、グエル先輩」
「なんだ?」
「具合、悪いとかじゃないですか……? 顔が赤いようですが、」
差し出がましい真似だと分かっているが、つい口をついて出た言葉になぜかグエル先輩の目元が赤く染まる。
「だっ! ……いじょうぶだ、気にしなくていい」
顔を背けるように荷物を差し出され、急いで受け取る。
「ありがとうございます。余計なこと言って、すみません」
「いや、いい。それよりも、次は前を見て歩けよ」
「兄さん、本当に遅刻するよ」
やや低い声がグエル先輩の後ろから聞こえた。僕を見る瞳は恐ろしく鋭い。ラウダ先輩を怒らせるようなことをした覚えはないけど、本能が急いでここから離れろと叫ぶ。
「ああ、悪いラウダ。じゃあな」
「っ、はい!」
お礼を言って二人とすれ違おうとした、その時。
なぜかラウダ先輩からも同じ香りがして思わず振り向くと、二人の首筋に紅い痕が見えた。多分、これ以上は考えたらいけないやつだ。忘れろ。忘れろ忘れろ忘れろ。
三回唱えて、どうにか講義に滑り込むべく歩を進めた。
「……ラウダ」
「何、兄さん」
「何って、おまえなあ……」
「何も言ってないじゃない」
「言ってないが、牽制してただろ」
「兄さんは見てなかったでしょ」
「見なくても分かる。あんな声出しやがって……」
「兄さんが悪い」
「何でだ!?」
「僕以外の前でそんな顔をするからだよ」
「そんな顔って、いつもと変わらないが」
「……本気で言ってる?」
「…………悪い」
「自覚があって良かったよ。今日の講義は休んでも良かったのに。内容なら僕が伝えられるし」
「そうもいかないだろう」
「言い方を変えるね」
「何?」
「兄さんの熱っぽい顔を他人に見せたくない」
「…………」
「兄さん?」
「誰のせいだと……」
「僕だね」
「嬉しそうに言うな」
「それは無理な相談かな。ようやく兄さんと繋がることができたんだから」
「おまっ、誰かに聞かれたらどうする!?」
「誰もいないよ、もうすぐ始業の時間だもの」
「さっきはいただろうが」
「彼なら大丈夫。口は硬そうだったよ」
「は……?」
「気付かなかった? 僕たちの首筋、すごく見てたのに」
「首?」
「……ここ」
「うわっ!?」
「えっ、兄さん本当に気付いてなかったの。あんなにあちこち痕つけたのに?」
「あちこち?」
「兄さん、僕と反対側についてるよ」
「……見られたのか」
「多分ね。気になるなら絆創膏貼っておく? はい」
「……随分準備がいいな」
「兄さんのことなら分かるからね」
「というか、だったら痕をつけるな」
「……」
「何だ、不満があるなら言え」
「兄さんが先につけたのに」
「は?」
「僕を抱き締めていきなり首を吸ってきたのは兄さんだよ」
「…………嘘、」
「ついてどうするの。本当だよ」
「だよなあ……覚えてない」
「じゃあ今夜またする? 今度は前後不覚になる前につけようよ」
「おっ、まえ……性格変わったか?」
「違うよ。……分からない?」
「ラウダ?」
「……甘えてるんだよ、兄さん」
「ぐ……っ」
「今夜、部屋に行ってもいい?」
「――好きにしろ」
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