アスティカシア学園生徒の受難 - 2/5

現ホルダーであり、ジェターク寮寮長でもあるグエル・ジェタークといえば、他寮の生徒から見ると横暴なイメージが先行するらしい。けれど寮生の中には彼を慕う者、尊敬する者も多く、彼との関係性如何によって評価の変わる人物、というのが僕のイメージだ。
入学してしばらくすると、ジェターク寮では歓迎会が開かれる。時期を同じくして友人や好ましい人へ感謝の意を込めたプレゼントを贈るイベントが近付くと、にわかに寮内をそわそわした雰囲気が漂い始めた。単に感謝や応援のプレゼントを贈る者もいれば、このタイミングで告白をする者もいる。ちょうどいい機会とばかりに。
それはほんの思いつきだった。僕も友人とささやかなプレゼントを贈り合おうと端末で調べている時、ふと、日々寮生のために動いてくれている彼にも何か贈ってみようかと、そんな単純な。「持てる者」である彼に何を贈るものがあるのかとも思ったけれど、取り巻きの後輩たちが「グエル先輩ってコーヒー好きだけど、私はまだブラックだと飲めないんだよね」と話していたのを思い出す。消え物ならそんなに困らせることもないだろう。これは単なる感謝の気持ち、下心なんて一切ない。ないったらない。誰に言い訳するでもなく呟きながら、購入ボタンを押した。

それが、一週間前のできごと。
無事に届いたコーヒー豆を簡単にラッピングし、彼のロッカーへと向かう。その途中、廊下で聞こえてきた声にぴたりと足が止まった。
「……それ本当?」
「本当だよ! だってグエル先輩のロッカーにプレゼント入れた子たち、みんな口を揃えて『プレゼントへのお礼と丁寧な断り文、贈った物を使ってるとこ見た人はいない』って言ってるもん。そりゃあさ、グエル先輩だし何でも持ってるし、うちらのプレゼントを使う必要なんて無いと思うけどさあ。せめて本人に直接渡そうとするとなんでかラウダ先輩の足止めが入るし」
「あー……それは、たしかに……」
プレゼントが本人に届いていないなんてこと、あるのか?
思わず手に力が入る。ラッピングに皺が寄りそうですぐに力を緩めるが、すれ違った生徒たちの会話が頭を離れない。
ラウダ・ニール。
グエル・ジェタークと異姓で同年の弟。
寮内でグエル・ジェタークを見かける時は、必ずといっていいほど彼の傍らにいる。
まさか兄へのプレゼントを秘密裏に処理しているなんてそんなことはあり得ないのだろうが、手にしたプレゼントに視線を落とす。
大した家の出でもない自分からのプレゼントなんて、彼は喜ばないかもしれない。いや、喜んでもらおうなんて考える方が分不相応だろう。でも、だからといって渡さない方がいいとは、思わない。
「……寮長室、どっちだったっけ」
学園へと向かう道を引き返す。いらないと突き返されたならその方がすっきりする。
途中で件の弟に遭ったらその時はその時だ。

拍子抜けするほどあっさりと、誰とすれ違うこともないまま寮長室の前へと辿り着いてしまった。休日の、しかもランチタイムだ。自室で気の置けない友人と過ごす者もいれば食堂でランチを楽しむ者もいる。賑やかなことの多いジェターク寮だが、こうして静まっている時間が好きだった。思春期の学生が大勢集まるのだから諍いが起こることも少なくはない。だが、やはり皆が一目置いているグエルの存在は大きい。時に助けを求められれば仲裁に入ることもあるーー本人は一つひとつの件に重きは置いていないのだろうがーーそんな彼の人望は案外と厚い。
「……開いてる?」
普段ならばぴたりと閉まっているか、部屋の前で後輩たちがわいわい集まっているものだが、今日は違っていた。わずかな隙間から室内の灯りが漏れている。
忙しい彼のことだから不在の可能性も考えていたが、これは勇気を出す時かもしれない。
そろりと手をパネルに近づけた、その時だった。
「……兄さん、……」
数分前、脳裏に浮かんだ人物。その声。
たまたま訪れたタイミングで、彼が一人きりでいる確率なんてやはりそう高くない。
肩を落としかけ、しかし視線を上げた。両手に持った重みが背中を押す。
「あの、」
「うわ、兄さん、ちょっと……!」
進めた歩が、ぴたりと止まる。なんで上ずった声出しているんだ、兄の部屋で。
「……ダメだって、そんな……僕のよりも兄さんのを見せてよ」
「俺のなんて見飽きてるだろう」
「そんなことないよ。ほら、また大きくなって……」
「ッ、……ラウダ、そんな急に……っ!」
(どういうこと!?)
聞こえてくるのは紛れもなく二人の声だ。
「ごめん、擽ったかった?」
「……平気だ」
「兄さん……っ」
「んっ、待てラウダ、そこは……ッ」
聞こえないはずの衣擦れの音まで聞こえてしまいそうで、皆まで聞かずに踵を返す。
きつく握りしめた包装紙は、くしゃくしゃに潰れていた。

「ん? 今誰か来なかったか?」
「気のせいじゃない? それより兄さん、どうしたらそんなに綺麗に筋肉がつくのさ」
「トレーニングだけじゃなくて食事にも気をつけているからな。ラウダこそ、ローラーの効果が出てるんじゃないか?」
「っわかる!?」
「ああ。食事のあとにトレーニングルーム行くか?」
「勿論だよ、兄さん」

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