約束

約束通り早めに帰宅し、キーや荷物を定位置に置く。室内は明るいものの兄の姿はない。
ラウダは無意識のうちに左の薬指を撫でていた。つるりと滑らかなリングが、そこは自分の居場所だというように静かに収まっている。
そのままリビングの壁際に備え付けられたシェルフへと足を向けたのは、今日が二人で決めた月に一度の日だったからだ。

会社の運営が軌道に乗るほど、これまでとは異なった種類の忙しさが二人を追い立てるように重なっていった。嬉しい悲鳴というやつだが二人でじっくりと話す時間が減り、また同じ家に帰るというのに違いの寝顔しか見られない日々も続いた。勿論、そうなれば身体を繋げる時間が取れないことも増える。ラウダは兄の身体を気遣いゆっくり休んでもらおうと思っていたのだが、ある日改まった顔で兄から告げられたのだ。
「セックスする日を決めないか」
その日は久しぶり――それこそ数ヶ月ぶりに二人のオフが重なった日で、映画でも観ようかとソファに並んで座っていた。少し高い場所にある兄の肩へと頭を軽く預けて、内側の手をゆるりと繋いで、まるで付き合い立てのようだなんて二人で笑って。全然、そんな雰囲気なんて無かったのに。
「せっくす」
オウムみたいに繰り返したラウダを、グエルは大真面目な顔で見つめる。
「ラウダが俺のことを気遣ってくれてるのは分かってた。嬉しいし、助かったのも事実だ。でも、俺もラウダとその、セックスしたい日もあってだな……」
ぎゅっと眉を顰めていたのは緊張と照れ隠し、どちらだろうか。ラウダがぽかんとした顔のまま見つめていると、みるみるうちにグエルの顔に朱が昇っていった。
これまでは少しでも兄の負担を減らそうと先回りしてものを言ってきた。それは仕事や日常生活は勿論、性交渉についても同様に。前者のことはセセリアあたりからブラコンにも程があると揶揄されてきたが、ブラコンで何が悪いとラウダは思う。ラウダがやりたくてやっていることだし、大切なものを大切だと言っているだけだ。
だからこそ、こうしてグエルから申し出てくれたことはラウダにとって青天の霹靂だった。
兄に言わせてしまったことへの反省も少なからずあるが、それ以上に嬉しさがラウダの心を占める。兄も自分を求めてくれていたのだと、熱を交わす時間が必要なものであったのだと。
「兄さん……!」
思わず抱きついたラウダを少しもぶれることなく受け止めて、グエルは一つの提案をした。

それが、このリングピローだ。
シェルフの中心に置かれた薄いレモン色のクッション。指輪が滑り落ちることのないよう白いリボンが二つ飾られ、周りは華奢なレースで縁取られている。その右側に、普段はグエルの薬指に収まっている指輪が置かれていた。これは兄からの控えめな――けれどはっきりとした誘いだった。
ラウダもまた指輪を外すと、隣り合わせにそっと置いた。腕時計も外し、上着を急いでかけると足早に兄の私室へと向かう。
「兄さん、入るよ」
扉にロックはかかっていなかった。いつもと変わらぬ速度で開く筈のドアがもどかしい。慌ただしく一歩、二歩と踏み出したところで、ラウダはぎしりと固まった。
「……おかえり、ラウダ」
既に準備を済ませたのであろうグエルは、キングサイズのベッドの上で待っていた。問題は、彼の格好だ。
ベッドの上に大きめのバスタオルが数枚敷かれ、グエルはその上に座っていた。彼の手は下肢に伸びている。左手でペニスを腹の方へと寄せ、右手は細長いプラスチックの玩具を持ちアナルへと挿入している。傍らに置かれたローションは三分の一ほど減っていて、グエルの額に光る汗は彼がそれなりの時間この「準備」をしていたことを示していた。
ラウダの、まだ触れてもいない下半身にぐっと熱が集まる。暴発は避けたくて歯を食いしばりながら、ラウダは大股でベッドへと近付いた。
「兄さん、なんで」
「んっ、我慢、できなくてごめんな……でも、久しぶりにするからちゃんと準備しなきゃ、って」
思って、と言いかけたグエルが顎を反らす。どうやら前立腺を掠めたらしい。
反射的にラウダは手を伸ばしていた。兄の手ごと玩具を持ち引き抜く。
「僕以外で感じてる兄さんを見るのは嫌だな」
そう言ってシャツの腕を折り返す。このまま触れたら服が汚れると以前グエルに止められたからだ。ベッドに膝を乗り上げにじり寄る。怒るか驚くかするだろうと思って見た兄の表情に、ラウダはごくりと唾を吞んだ。
「……早く来い、ラウダ」
溶けた蒼に映る自分は、一体どんな顔をしているのだろう。確かめる余裕もなくラウダは覆い被さるように兄へと口付けた。触れるだけなど生温い。舌を差し込み歯列をなぞり、迎えた舌を捕らえる。絡めては離れ、離れては熱を分け合って。あっという間に室内の温度が上がったようだった。
カチャカチャと音がするのはグエルの手がベルトを外そうとしているからだ。慣れた手つきで前を寛げると既にラウダのペニスは下着を押し上げていた。布越しにも感じる熱にグエルの奥が疼く。
「兄さん、兄さんっ、もう入ってもいい……っ」
「ん……っ、いい、入れてくれ、もう……ッ」
グエルが数回扱いただけで充分だった。ラウダは興奮に震える手でコンドームのパウチを切り性急に装着すると、ぬめる切っ先を宛がった。いつもならぬるぬると擦りつけて焦らすのに矢も楯もたまらずラウダは腰を押し進める。
ぬぷぷ、とローションを押し出しながら内壁をかき分けていく。久しぶりの感覚にすべてをもっていかれそうになりながら、ラウダは奥歯を噛みしめた。驚くほど熱く溶けた内側はようやく待ち望んだものが来たのだと収縮する。
「ッ、兄さん、あ……きもちい、は、ァ……っ」
「ん――っ、ん、あ、あっ、らぅだ、ぁ……!」
奥へと引きずり込まれるように、数回に分けてラウダは腰を押し付ける。その度に開いたままのグエルの口からは嬌声が溢れた。いつもの落ち着いたものとは違う、甘く濡れた声。腰を太股に挟まれ引き寄せられる。もっと、と強請るように。
「も、だいじょぶ、だから、動け……ッ」
「兄さん!」
煽らないでと言葉にしようにも、ラウダの身体は勝手に動いていた。大きく腰を引き、腹の手前を擦り上げる角度で一気に挿入する。
「ああああっ」
顎を反らし後頭部をシーツに押し付けるようにしてグエルが喘ぐ。両手はシーツをきつく掴みどこかへ飛びそうな意識を必死に繋ぎ止めていた。大丈夫かと覗き込む弟の様子に気付いてか、荒げる息の合間に口を開く。
「そこ、ぅあ、きもちい、もっと、……んんぅ!」
「――ッ、ぼくも、っはぁ、ア……気持ち良いよ、兄さんの中……っ」
「ああっ、ラウダ、いい、きもちい、」
気持ちいい、と何度も口にするのは以前自分が頼んだからだと気付いた瞬間、ラウダは背筋を言い知れぬ感覚が走るのを感じた。次いで勢いよく湧き上がってきた射精感に打ち付ける腰が速まる。抽挿に合わせてじゅぷじゅぷと泡立つローションがラウダのペニスによって掻き出されてゆく。開きっぱなしの口からは最早甘えるような声ばかりが漏れていた。まるで「気持ちいい」と言うことでより感度が増しているかのように。
「ぐっ、兄さん、兄さんッ」
ラウダの限界も近い。グエルの膝頭を掴み自分よりがっしりとした脚をぐっと持ち上げる。ペニスの抉る角度が変わり更に奥へ届いたのだろう、グエルは短く悲鳴を上げた。が、それもすぐに嬌声へと変わっていく。
肌と肌のぶつかる音が徐々に大きく響く。不意に、内壁が一気に収縮した。搾り取られるような動きにラウダは低く呻く。びくびくと数回に渡って蠢いた内壁は、グエルが大きく息を吐き出すのに合わせてゆるりと落ち着いていった。未だ達していないラウダのペニスの形に馴染むように内側が蠢動する。
「――兄さん、大丈夫?」
胸を大きく上下させている兄を見下ろし、ラウダはそっと問いかけた。こんなふうに一気にセックスをしたのは久しぶりで、疲れている兄に無理をさせていないかと心配になったのだ。目尻から零れた涙をそっと拭う。上気した頬を包むように触れると、グエルは同じ左手をその上に重ねた。
兄は弟の長い指が好きだった。自分よりも骨張った感触を味わうようにゆっくりと撫でる。指の隙間に挟み込むように絡め、持ち上げて口元へと運ぶ。
「兄さん……?」
薬指の付け根を何度か擦るように指先が往復する。常に銀の輪が嵌まっている指も、今は柔らかな皮膚のみがそこにはある。
ふと思い立ったのか、ラウダは二人分の手を引き上げるとそっと唇を寄せた。
「ん……ッ」
甘く鼻に抜ける声はラウダの腰を痺れさせた。負けじときつく吸い付けば薬指に紅い花が咲く。満足げに眺めるラウダを見上げて、グエルは再び手を引き寄せた。何を、とラウダが言う前に彼の薬指を口に含む。
「兄さんっ!?」
長い指をすべて口の中に迎え入れ、指の腹を舌で舐め上げる。ちゅぷ、と水音を立てるのは勿論わざとだ。含むのは指である筈なのに、口淫をしているかのようにグエルはねっとりと舐る。繋がったままの下肢が再び限界を叫ぶのも時間の問題だった。
「――ッ!?」
その時、指に小さな痛みが走った。片目を眇めたラウダが見ればグエルはお返しとばかりに付け根を噛んでいる。くっきりと、痕がつくほどに。
「……俺の、だから」
めじるし。
そう言って笑う兄は驚くほど官能的で、今夜はもう止まらせる気がないのだとラウダは悟った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です