SS集26~33

「風邪をひくなよ」やわらかな温もりに鼻先を埋める。父の好む香りがうっすらとグエルの鼻腔をくすぐった。知らず兄の目元が弛むのをラウダはじっと見つめている。兄が貸してくれたマフラーはとても温かい筈だ。それなのに。「まだ寒いか?」きゅっと握られた指先からじわり、ようやく熱が灯る。

―あなたがいい

 

ラウダ、らーうーだー。朝だぞ、起きろ。あんなに涼しげな目元をしておきながら弟の朝は遅い。撫でても揺すってもむずかるように目をぎゅっと瞑る弟が、けれどグエルは嫌いでなかった。とても弟らしいじゃないか。さて今日はどうしようかと、そっと両手をシーツに伸ばす。

ー本当は聞こえているけれど

 

見ているこちらの息が詰まりそうだ。グエルはチョコクリームの詰まった絞り袋をぷるぷる震えながら少しずつ力を込める。兄の集中を妨げまいとラウダは見守るに努めた。その手元には三体のマジパンが並んでいる。グエル、ラウダ、そして主役のヴィム。やけにグエルの表情だけ豊かなのは偶然だろうか。

ーとうさんのために!

 

珍しく日の高いうちに帰宅できたからと子供部屋を覗いてみるが、ヴィムの探す姿はそこになかった。学習の時間はとうに終わっているし、出かけるとも聞いていない。もしやと思い向かった先。書斎のソファに二人はいた。午後の麗らかな日差しが寄り添う息子に降り注ぐのを、父は穏やかに見つめている。

ー小春日和

 

ラウダにだけ、見せてやる。そう言って兄さんが大事そうに見せてくれたのは今よりずっと若い父さんの写真だった。隔壁が映らない空。おそらく地球だ。いいなあ、と目を輝かせる兄さんに何とも言えない気持ちが浮かぶ。「三人で行ったら絶対楽しいだろうなあ」瞬間、それは期待へと変わっていた。

ーいつかの約束

 

う、小さく呻いてグエルはうっすら目を開く。腹の上に乗っているのは潜り込んできたラウダの足。弟の寝相が実はあまり良くないのだと気付いたのは最近の話だ。起こさないようにひっそり笑いながら足下にたまった毛布を引っ張り上げる。温もりに安心したのか、ラウダの口元が緩む。肩をそっと撫でながら、グエルのまぶたも次第に重くなっていった。

ーおやすみよいゆめを

 

撮るぞ。父さんの声に、隣の肩からは緊張感が伝わってきた。どうしようかと考えて、そうだと左手を伸ばした。思ったよりは近くにあった手を取る。「父さん、かっこよく撮って!」カメラに向かってピースサイン。写した画面を見せてもらえばなぜか弟の視線はオレに向いていた。撮り直さなくていいのかな。

ーこれがいい

 

それはあまりにも美しく。蒼空をうつした兄の瞳のふち、じわじわと浮かぶ涙は透明な筈なのに空色の飴玉にも似ていた。思わず伸ばしかけた手を兄が掴む。「痛いか?」聞かれて、そういえば自分が転んで膝をすりむいたのだと思い出す。当人よりも兄の方が余程痛そうだ。「ラウダ?」「……だいじょうぶ」

ーどんな味がするのだろう

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