SS集11~15

弟の小さなわがままを聞くのが楽しくて、最近のグエルは弟以上にラウダのことをよく見ていた。実は好き嫌いが結構はっきりしてそうなとこ。苦手な人や食べ物があると長めの前髪をくんっと引っ張ること。それから――寝る時たまにうなされていること。弟の好きなおやつを作ってと料理長に頼みに行った帰り、ソファでまた苦しそうにしている弟を見つけた。さらさらの前髪が冷や汗で額に張り付くのをそっと払ってやる。肩をそっと揺すって声をかければ、潤んだ琥珀がくしゃりとゆがんだ。

 

「こっち上がってこいよ」
枕を両手で抱えた弟に、グエルは片手を振りながら言う。兄らしいことができて嬉しいのだろう。その表情は随分と明るい。
ラウダはおずおずとスリッパを脱ぎ、ベッドの上へとよじ登った。並んで寝ても余りある広さだが、二人は真ん中に寝転がると、向かい合った顔を近付けるようにグエルが寄り添った。
「ふたりなら怖い夢なんて見ないぞ、きっと」
根拠のない自信。けれどラウダには充分だった。
互いの息づかいが聞こえるほどの近さで、二人一緒に目を閉じる。
――数分経つと、穏やかなグエルの寝息が聞こえてきた。ラウダはそっと目を開く。兄の寝付きの良さに驚きながら、こんな近くで見ることのなかった顔をじっと見つめた。
くるりと癖のある髪をグエルはあまり好きでないようだったが、ラウダは後ろについて歩くときぴょこぴょこと跳ねるその髪が好きだった。
いつもはきらきらと空の蒼を映す瞳が、今は目蓋に隠れている。じいっと眺めていると、睫毛の一本一本がくるりと綺麗なカーブを描いているのが分かった。長く密度の濃いそれに魅入られるように、ラウダはじりじりと距離を詰めていく。もう少し、もう少しだけ。近付くほどに、柔らかそうな頬も、つんと尖った鼻も、ふっくらとした唇も、ラウダの意識を引き寄せる。
「ん………」
「……っ!」
グエルの声に、ラウダは弾かれるような勢いで後退した。キシリとベッドが沈む。
(いま、ぼくはなにを……!)
確かな感触が唇に残っている。温かくて、柔らかくて、少し乾いた肌の感触。
細い指で自分の唇をなぞる。一度、二度。幸い、兄は起きたわけではないらしい。また規則的な寝息が聞こえてきた。
耳の奥に心臓があるのかと思うほど響く鼓動を聞きながら、ラウダは枕に突っ伏す。もう悪夢どころではない。自分の感情に混乱したまま、ラウダはきつく目を瞑った。

 

「ラウダラウダ、これ見てくれ!」兄さんが嬉しそうにMSの模型を見せてくれる。父さんの会社がMSを作っているのは聞かされていたけどぼくはあまり詳しくなくて、兄さんが機体の性能やギミックを教えてくれるのをうんうんと聞いていた。好きを語る兄さんはいつも以上にきらきらして見える。大げさに動く手足も、ふわふわ揺れる髪も、空の色を映した瞳も、ぜんぶぜんぶ。「ラウダ、聞いてるか?」聞いてるけど、見惚れてもいた。内緒だけど。

 

不意に左肩が重くなる。さっきまで他愛もない話をしていた筈なのに。そう言えば応えるまでの時間が徐々に長くなっていったなと思えば、ラウダの頬に柔らかい感触がふれた。こんなふうに無防備な寝顔をさらして、頭を預けてくれるようになるまでどれくらい経ったのだろう。手にしたマグには兄特製のホットコーヒー。てのひらの熱も、肩のぬくもりも、ラウダの心を柔らかにする。

 

「ラウダ、夏って知ってるか?」
唐突に言われて、ラウダは目を瞬かせた。グエルの蒼が光を反射してきらりと光る。
「夏って、地球にある四季の?」
「そう!この前アーカイブで見たんだけど、朝から晩までずーっと暑いらしい」
どんなんだろうと話すグエルは実に楽しそうだが、ラウダはあまり乗り気になれなかった。
「それは……ちょっとつらいかも」
「あんまり暑いとか寒いとか、こっちじゃないもんな」
環境が完全制御されているフロントでは、天候すら設定された通りに移り変わる。快適な環境に慣れたスペーシアンには厳しい条件に思えた。だが、グエルは目にした映像に魅力を感じているらしく「それならさあ」と続けた。
「麦わら帽子かぶって、麦茶持ってさ、そんでひまわり畑に行くんだ!」
「ひまわり畑?」
「一面ぜーんぶ!ひまわりが植えてあって、目の前が金色の海みたいなんだって」
ラウダの瞳みたいな色かな。そう言われて、ラウダもほんの少し身を乗り出す。
「兄さんと一緒なら、行きたいな」
その言葉にグエルはぽかんとして、一瞬後、無邪気に笑った。
「当たり前だろ!」

 

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