おかしくなりたい

唐突に寄せられた顔。向かう場所を理解した途端グエルの手が動いていた。
互いの口の間に差し込む。ふに、と触れる筈だった唇が掌に口付けた。
弟は、今、キスしようとしたのか。
兄である俺に。
異母とはいえ血の繋がった兄弟であることは間違えようもない。犯し難い禁忌に何故弟は踏み込もうというのか。混乱ばかりが渦を巻くようで、けれど強く押し退けることもできなくて。それはそうだ、ラウダは可愛い弟なのだから。
「ら、うだ……」
困惑と、請願と。両者の混じった蒼が頼りなく見つめる。受け止めた琥珀は決して揺るがない。
ラウダとて考えたのだ。兄への想いが何を意味するか、周囲からの視線も、倫理の枠組みだって。
結果、そんなものに縛られていたら兄が兄でなくなるのを指を咥えて見なければならないのだと気付いてしまった。だから、最早躊躇わない。自分の憧れた、自分が愛した兄を護るためならば。
ガードしてもなお止まる気配のない弟に、グエルは迷いながら口にする。これを言えば弟は傷つくだろうと理解しながら。
「おかしいだろっ、こんなの……兄弟で……!」
兄弟であることは二人を繋ぐ縁(よすが)だ。これ以上進めば、二つを得るどころかすべて壊してしまう。
距離を取ろうと腕に力が入る。けれど押し退けようとしたその手は弟に絡め取られてしまった。
親指の腹が掌をなぞる。指の付け根のふっくらとした部分を、少し汗ばんだ中心を、皺の一本も余すことのないように。徐々に下がる指は手首の内側をゆっくりと撫でた。何かを確かめるように何度も、何度も。薄い皮膚の下を流れる血は確かに二人を繋ぐものだ。絶え間なく脈動するそれに、得体のしれない感覚がラウダを奮わせる。
「……うん」
頷く弟の声に、グエルは短く息を呑む。覚悟を決めたような、すべてを諦めたような、それは不思議な音色をしていた。
ラウダは考える。
おかしいのはこの世界の理ではないか。自分も、兄も、互いをこんなにも愛しているのにひとつになれないなんて。いっそ同じ子宮で命を分かち合えたならば違っていただろうか。当たり前のように、世界が望むように、普通の兄弟として。
(……莫迦莫迦しい)
冷めた瞳の奥で熱が揺らめく。
瞬間、兄の瞳にも似た焔を見た。
これは間違いだと、拒絶しなければと自制する奥に、微かに揺れた欲望。誰よりも己を必要とされることへの悦び。しがらみのない己を身一つで求められることへの、確かな憧憬。
(同じなんだ、兄さんも……グエルも)
はちり、視線がぶつかる。
「ねえ、兄さん」
迫る弟にグエルの肩が跳ねる。手首は軽く掴まれているだけなのに振りほどけず、結んだ視線は解けない。その間にも二人の距離は縮まるばかりだ。
唇に息がかかる。やけに熱っぽいのは果たしてどちらのせいか。
触れる瞬間、ラウダは低く呟いた。

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