辿る疵痕

前作「僕に消えない疵をつけて」の続き

 

「……難しいですね」
何度目になるか分からない医師の言葉に、グエルは小さく息を吐いた。礼を伝えて診察室を後にする。行き先は足が勝手に向かってくれる。
「兄さん」
病室の扉を開けるや否や、弟の声が出迎えてくれた。それがあまりにも早いから、いつだったか苦笑と驚き半分に尋ねたら「足音で分かるんだ」と言っていた。グエルにはよく分からないが、ラウダが言うのだからそうなのだろう。
「こんなに何度も来てくれなくて大丈夫だよ。会社の方が大変だろうし」
「頼りになる奴らもいるから、心配しなくていい」
この会話も何度目になるのか。片手を超えた頃からグエルは数えるのをやめた。
ラウダが目を覚まし、グエルの問いかけに応えてくれるようになるまでの期間を思えば同じ会話も安堵の種になる。それに、ラウダの体調が回復しつつあるということは、クワイエット・ゼロでの事件を調査される準備が整いつつあるということと同義であった。こうして会える期間には限りがある。言葉にしないまでも、二人の間でそれは理解されていた。
「来月には調査委員会がここに来るって」
「……早いな」
「遅すぎるぐらいだよ。それに、こうして兄さんと会うことも許されてる」
淡泊な様子にグエルは口を噤んだ。あの時も今も、弟の本心を図りかねている。
「だとしても、まだ痛みは残っているだろう」
当の本人よりも痛そうな表情をして、グエルはそっと手を重ねた。ラウダの手の甲にじわりと兄の熱が移る。
まるで熱が立ち上るかのように頬の引き攣れが淡く灯るのを、グエルはじっと見つめている。
「……痛いか」
「少し熱を感じるぐらいだよ」
兄の視線に、罪の意識がいつだって浮かぶのをラウダは見ていた。美しい蒼空のいろが溶けそうに揺らぐのを。けれど最近は異なる感情が奥に潜んでいる気がしてならない。そう、己の抱く悦びに似た何かが。
まさか、と考えを打ち消すようラウダは首を振った。
「どうにかして消せたらいいんだが、今の技術では難しいと」
視線を下げられて、ラウダは勿体ないと思う。もっと兄の瞳を見ていたいのに、と。
長い睫毛が影を作る。その下で揺らぐ瞳にどんな欲が浮かぶのかつぶさに見ていたかった。
ふと、グエルが顔を上げる。
その手が己の顔へと伸びてくるのを、ラウダはじっと待った。
温度のある指先が、疵痕をゆっくりと辿る。見つめる瞳に浮かぶのは痛みだ。ラウダにとって疵が兄との縁(よすが)になることなど、思いつきもしないのだろう。再び頬に熱が昇っていく。いつまでも離れなければと願ったのは果たしてどちらだったろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です