僕に消えない疵をつけて

何事かを言いかけて口ごもった弟に、グエルは手元の端末から視線を上げた。
「どうかしたのか?」
尋ねてみてもラウダの態度ははっきりとしない。常ならばあれこれと効率的に用事を済ませる弟の珍しい姿に、今度こそグエルは手も止めた。
「言いたいことがあるなら聞くぞ」
「ごめん、兄さんの手を煩わせたい訳じゃないんだけど」
「気にしなくていい。寮のトラブルか?」
違う、と首を振る弟に思いつくいくつかの事由を投げかけるがどれも外れた。
(何か言いにくいことでも……父さんのことか?)
「少し、兄さんの手を借りたくて」
「いいぞ」
「兄さん。安請け合いしないで」
「ラウダが頼み事なんて珍しいからだろう? 許せ。それで? 何を手伝えばいい?」
「……ピアスホールを、開けてほしくて」
「ピアス?」
意外な単語にグエルは瞳を円くする。
学園において禁止されている事項でもないが、ラウダがピアスを開けたがっているなどと聞いたことがなかったからだ。それをどうして突然、とは至極当然の疑問であった。
「医務室でやってもらった方がいいんじゃないのか?」
グエルの提案も当然のものだ。けれどラウダは力強く首を振った。
「兄さんにやってほしい。道具は僕が揃えるから。……ダメかな」
少し視線を下げた弟のこの顔にグエルは弱かった。弟も最近はそれを理解しているのではないかと思うこともしばしあるが、それでも無碍にはできない。
「……分かった。だが、必ず医務室での消毒も受けろ。それが条件だ」
「っ、うん! ありがとう兄さん!」

 

――懐かしい夢を見た。
眩しい視界に映るのはようやく見慣れ始めた天井だ。
「……起きなきゃ」
むくりと上半身を起こすものの、ぼやけた思考がクリアになるまでは時間がかかる。ひとまず朝のルーティンに従って支度を整える中で、ラウダはふと洗面台の鏡を見つめた。無意識のうちに指先が耳朶を触っている。うっすらと痕が残るものの、兄から与えられた疵は入院している間にすっかり塞がってしまっていた。それでも学生時代にそうしていたように指先で感触を確かめてしまうのは、もう去りようのない癖である。
タオルを一枚取り、適温に調整された水で顔を洗う。再び顔を上げれば、そこにあるのはあの日から進むことも戻ることもできずにいる己であった。自嘲の笑みが思わず口端に浮かぶ。
水気を拭く中で、指先が頬のひきつれた痕に触れた。
時折、ラウダの感情に合わせて夕焼け色に光る、パーメットスコアの代償。
グエルは何とか消せないものか医師に掛け合ったと聞いているが、ラウダは兄の意図がどうあれ消すつもりなど毛頭ない。
確かめるように指先でなぞりながら、鏡の中の自分は微笑んでいた。

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