なんて恋は素晴らしい!

 ねえ、どうだったの。お見合い。
 落ち着いたカフェの奥に位置する窓際のテーブル席。私と友人の定位置。席について注文をするやいなや、友人は小さな声で聞いてきた。一応は気を遣ってくれているらしい。前のめりの姿勢がちょっとマイナスだけど。
「どうだった、のかなあ」
「ええ?」
 当の本人である私がぼんやりと答えたことに、彼女は器用にも片方の眉だけを上げてみせる。どういうこと? と言うように。
「まあ脈は無いなと思うんだけど」
「無かったかー」
「うん。でも礼儀正しいし親切だったよ」
「悪くない手応えじゃん」
「手応えというか、なんていうのかな……誰にでも、常識の範囲内で行う親切さを差し出されたって感じ」
「そうかあ。ジェタークの御曹司が珍しく見合いを蹴らなかったって社内でも話題だったのに」
 話題どころか上司も同僚もお祭り騒ぎだった。だからこその結果に友人は頬杖をついて唇を尖らせているのだろう。
 そもそもが自分の意思もあまり関係ないところで降って湧いてきた話だったのだ。あのジェターク社の御曹司――クワイエット・ゼロ以降、必死に業績の立て直しを図るジェターク・ヘビー・マシナリーは今や大企業とも呼べないが、ベネリット・グループの頃についたイメージは中々変えられない――との縁談など。CEOは兄が引き継ぎ、数年前にその右腕として弟が抜擢されたらしい。今回の縁談は弟のラウダ・ジェタークに、以前から親同士の親交があった弊社の社長から持ちかけたらしく、CEO直々に承諾の返事があったそうだ。そのうち親の勧めで結婚するのだろうとぼんやり考えていた私は拒否するほどの事情もなく、指定された日時に同じく指定されたレストランへ向かい、そして今に至る。
「いやいやいや、今に至るまでが短すぎ。全然分からない」
「だよねえ」
「だよねえじゃなくて、あっすみません、コーヒーこっちです」
 サーブされた飲み物を一口飲んで、どこから話そうかと迷う。ラウダさんは決して失礼な態度を取ることもなく、むしろとても穏やかで親切な方だった。思い出すように、肩に垂れた癖のある髪を指先に絡める。
「一緒に食事して、街を歩いて、ちょうどいい時間に映画がやってたから一緒に観て」
「何観たの?」
「ほら、この前予告観たやつ」
「ああ、こってこての恋愛映画。好きな監督の作品だから絶対観るって言ってたもんね」
「うん。映画はすっごく良かったんだけど」
「だけど?」
 映画は恋愛映画のパターンを丁寧になぞった良作だった。互いに惹かれ合っているのにすれ違いを重ねた女性二人が時を経て結ばれる、お決まりのパターン。それでも登場人物の心情が丁寧に描かれ、温かな眼差しを感じる監督の作品は確かに満足するものだったのだが。
「なんか、映画観た後のラウダさんがすんとしてて」
「すんとしてて」
「くり返さないでよ、もう。なんていうのかな、温度が少し下がった感じ? うーん、うまく言えないんだけど」
 思い出すのは彼の切れ長な瞳だ。レストランでは琥珀の瞳にたずさえていた穏やかさが、いつの間にか消えていた。
「優しくなくなったってこと?」
「ううん、それはない。ずっと親切だった。でも駅まで歩く間に話してて、あの映画が好きじゃなかったかな、とは思った」
「恋愛映画に興味が無い?」
「どうなんだろう……興味が無い、とは違う気がする。私が映画の感想を喋ってる間もずっと笑顔で聞いてくれてたし」
 友人があちゃー、という顔をしたが気にせず続ける。良いじゃない、好きなものは好きなんだから。
「最後まで聞いて、ラウダさんが言ったの。あなたは恋に憧れているんですね、って」
「どういうこと? 嫌味?」
「違うと思う。そういう感じじゃなかった」
 そう、私への当てつけでも、嘲笑したわけでもない。彼女たちの恋が実ったことを興奮しながら語る私に向けたそれは、言葉通りの意味だろう。
 無意識のうちに乾いた笑みをこぼしていたのは、その対象は、むしろ。
(……自分自身を、嗤っていたのではないだろうか)
 なぜ、と浮かんだ疑問を打ち消す。これは私が首を突っ込むことではない気がする。
「うーん、手応えナシかあ」
「無しというか、私が結婚するつもりなら真剣に考えるとは言われたの」
「は!?」
 友人の腰が浮く。声が大きい、とジェスチャーで伝えればごめんと手が動く。
「恋することはないでしょうけれど、それでも良ければって」
「はあ!?」
 今度こそ立ち上がる勢いで友人が声を上げた。慌てて周りを見回すが、客席はまばらで店員たちも知らぬ顔をしてくれている。このカフェにしておいて良かった。
「ちょっと、それでちゃんと断ってきたの?」
 さっきまで玉の輿と喜んでいた友人の顔が一転して般若の形相だ。ああ、私のこと大事にしてくれてるんだな。心の隅っこがほわりと温かくなる。
「お互い素敵なご縁があるといいですね、って断ってきたよ」
 結婚するだけならきっとできるだろう。私に恋することがないと言い切った彼の誠実さは好ましい。それでも、私がいちばん大切にしたいものが相手にとって正反対なものであることは、いつか破綻する未来でしかない。
 そう考えれば、そもそもこの縁談を承諾したのが彼の兄だということに端を発している気もするが、これ以上は野暮というものだろう。注文したメニューも届いたし、友人の表情も明るくなったことだし。
「ねえ、もう一回あの映画観に行きたいんだけど付き合ってくれる?」
「もちろん!」
 目の前に置かれたキッシュからは、ふわりと香ばしい匂いが立ち上った。

本編後、モブ視点
グエルを想うあまり独占欲や嫉妬に心の大部分を支配されているラウダにとっては、恋は素晴らしいものだ、などというのは自分とは程遠い高尚な人間の意見であり、乾いた笑いの出る言葉である。(攻めが悶々するガチャより) https://odaibako.net/gacha/14652

読んだよボタン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です