Home, sweet Home.

エラン・ケレスが持ちかけてきた業務提携の内容を確認していた、その時だった。端末が着信を告げる。画面に浮かぶのは漸く見慣れた名前。長らく別々の姓を名乗っていた異母弟とお揃いの姓を抱くようになってから、もう一年になる。着信を承諾する旨を告げて音声を繋げば、かつてより穏やかな声がした。
「兄さん? ごめん、忙しかった?」
「いや、大丈夫だ。ケレスさんたちもさっき帰ったところだよ」
「あの人たちまた来てたの? 大丈夫? 弄られてない?」
多少心配性なところは変わってないなと思いつつ、グエルは「気にするな」と返す。
「そんな悪い人じゃないさ。セセリアも有能だしな」
「弄られてはいるんだ」
「にぎやかなのも悪くはないよ」
それはグエルの本音だった。
CEOの座を正式に引き継ぎ、先の戦争からの復興が簡単ではないことも知った。地球で出会った人々のことも気にかかるが会社を立て直すことが最優先事項だ。がむしゃらにひた走る中で社員が少しずつ戻り、一歩一歩、時間はかかれど前に進んできた。ラウダを初めとしてカミルやフェルシーたちも尽力してくれている。けれどそれぞれに活躍する場所は違っていて、経営者としてのグエルが彼らのもとを訪れる機会は随分と減ってしまっていた。
そんな折、グエルのもとへ業務提携を引っ提げて登場したのがオリジナル・エランとセセリア・ドートだ。グエルがかつて共に決闘委員会で過ごしていたエランとは随分性格が違うらしい。かいつまんで聞いた話に眉をひそめたグエルを見て「なんで君がそんな顔するのさ」とオリジナルはけらけら笑ってみせたが、今また聞いたとしてグエルは同じ顔をするだろう。なんとなく「エラン」と呼ぶ気分にはなれず、「ケレスさん」と呼んでいる。本人は好きに呼んでくれと言っていたので問題はないのだろう。
細かな契約内容を詰めるのに何度か二人で足を運んでくるのだが、その度にグエルのことを玩具にするのでラウダが言う「弄られている」はあながち間違いでもないのだが。
「そういえばペトラは? ガンドは問題なく使えてるのか」
「ああ、それなんだけど……」
やや強引な話題転換だが、ラウダは飲み込んでくれたらしい。
株式会社GUNDAMが提供するGUND技術。これもジェターク社が新しく提携を始める業務の一つだ。ラウダがミオリネやスレッタへ向けていた感情を鑑みてグエルが担当するつもりでいたのだが、意外なことにそのラウダ本人から「自分がやりたい」と申し出があった。つい先月のことだ。グエルは弟が新たな道を歩み出そうとしていることに嬉しく思う一方、寮を出てからしばらく二人暮らしをしていた日々を思って一抹の寂しさも感じていた。かつては母が離れ、父を失い、弟が出て行った屋敷はおそろしくがらんとして見えたからだ。ただ、いつまでも弟と一緒というわけにもいかない。ラウダがこうしてペトラと共に在ろうとすることを兄として見守ることができるのは幸せというものだ。
気付かないうちに笑っていたらしい。
「――兄さん? どうしたの?」
「いや、何でもない。それで今日はどうしたんだ? ペトラの術後も問題ないんだろう」
「うん。テスターとしてのデータもかなり揃ってきたから、一度報告がてらそっちに戻ろうと思ってるんだ」
ラウダの言葉に、グエルは首を傾げる。
「せっかくゆっくり過ごせるんだから休暇申請でも出したらいいだろう」
「仕事で来てるのに休暇も何もないだろ。兄さんこそちゃんと休んでいるの」
「う……」
痛いところを突かれる。忙しくしている方が気が紛れるのは幼い頃から変わらないのだから仕方ない。
「とにかく、明後日には戻るから。あ、ペトラが兄さんによろしくって言ってたよ」
「俺のことはいいから治療とリハビリに専念しろと伝えてくれ」
「ふふ、了解。じゃあね」
「ああ」
可愛がっていた後輩が一命を取り留めた時も、こうして日常に戻ろうとしている今も、グエルにとって大切な時間の一つだ。自然と浮かぶ微笑みは誰が見ることもないのだが。
ふう、と一息吐いて閉じていた書類をもう一度確認し始めたところに、またしても着信が告げられた。
送られてきたのはテキストメッセージで、送信先を確認したグエルはタイミングの悪さに思わず呻いた。

二日後、学園フロントの理事長室にはグエル、ラウダと共にエラン、セセリアの姿があった。
偶然ではあるが、日付も時間もばったり重なってしまったのである。扉を開けた瞬間飛び込んできた光景に、ラウダが小さく舌打ちしたのを見逃すセセリアではない。
「あっれぇ~! ラウダ先輩お久しぶりですぅ。いきなりの舌打ち、可愛い後輩に失礼じゃないですかぁ?」
「もう卒業したんだから後輩じゃないだろう」
「そういうこと言います? あたしまだグエル先輩のこと「グエル先輩」って呼んでますけどぉ」
「っていうか年上の僕にもその態度ってひどくない?」
「け、ケレスさん……」
慌ててグエルが止めに入ったところで聞く二人ではない。
「ですよねぇ。結構グエル先輩のためになることもあたしたち頑張ってると思うんですケド」
「そうそう、ちゃんとジェターク社の利益分配も考えてるよ? ねえ?」
「いや、それについてはもう少し相談させていただきたい」
「あっ、弟の前だと君そんな感じなんだねえ」
「そ、そんな感じ!?」
いつものようにグエルを弄り倒す二人だが、その興味はグエルではなく弟に向けられている。セセリアがグエルを揶揄うのは反応が良いのは勿論のこと、この弟が突っかかってくるのも含めて面白いからだ。だが、そんな思惑を躱すようにラウダは淡々と続けた。
「アスティカシアへの編入について確認したいことがあるって秘書室から連絡もらったよ。一時間後に来るよう伝えたけど問題ないかな」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
「それから経過報告もしておきたいけど、後にした方がいいなら出直そうか?」
「……随分落ち着いちゃったんですねぇ、ラウダ先輩」
つまらなそうに、きらきらした爪を弄りながらセセリアが言う。彼女の言う「面白い」は「揶揄い甲斐がある」なので、つまらなくて結構だとラウダは思う。突くのも面倒なので言わないが。
「僕が初めて来た頃は子犬みたいにキャンキャン吠えてたのにねえ。番犬みたいで可愛かったなあ」
「吠ッ、……えてません」
「照れなくてもいいのに。ねえ?」
「ですねえ」
二人の矛先が良からぬ方向へ向かったのを察知して、グエルは咳払いをした。二対の瞳がぐるんと彼の方を向く。
「ケレスさん、すみませんがこの後はラウダとの約束がありますので」
「はいはい。お邪魔虫は退散しますよ~」
「そうは言ってません……!」
「冗談冗談。でもそっちの契約は前向きに考えてくれると嬉しいな。そちらにとっても悪くない話だろうし」
「うちの取り分、もう少し勉強してもらえるなら」
「うーん、それは次の交渉次第かな」
悪いようにはしないよ、と軽やかな笑みを浮かべてエランはソファから立ち上がる。その言葉に嘘がないことはグエルもよく知っていた。彼は軽薄な言動を見せるが、経営者としてはおそろしく切れ者でもある。なんだかんだいってここまでジェターク社が再建を図れているのは彼の手助けもあってのことだ。
「今度はディナーぐらいご一緒したいね。テントで飲むコーヒーも悪くなかったけど」
「……テント?」
ずっと黙っていたラウダが小さく反応する。気付いたエランだったが、今日のところは引き下がろうとセセリアに続いて扉を出た。
「じゃあグエル先輩、また今度ランチ奢ってくださいねぇ」
「僕にもぜひ。じゃあ、また」
ひらひらと手を振って去っていく様はあまりにもグエルが知っている「エラン」とかけ離れていて、本当に違う人間だったのだと会うたびに驚かされる。それから何故か彼に興味をもたれているらしいことにも。
「兄さん」
「ああ、待たせて悪かったな」
「それはいいんだけど、……」
「ラウダ?」
何かを言い淀む弟に、グエルは首を傾げた。もしや、ペトラの術後が良くないのだろうか。
グエルの顔に不安の色が滲むのを見てラウダは慌てて手を振った。
「ごめん、何でも……一つだけ、いい?」
止めかけて、けれど伝えようとしてくれたことにグエルはぱっと表情を明るくする。
「ああ。どうしたんだ?」
「エラン・ケレス……彼とキャンプに行ったの?」
久しぶりに見るじとりとした視線。
そこに弟の可愛らしい妬心を見つけて、グエルは思わず顔を綻ばせた。
「ちょっと、そんな顔しないでよ」
「んん、変な顔してたか?」
ぱちん、と軽く頬を叩くグエルにラウダはどう言ったらいいか分からず「うう」と呻く。
「昔地球で会った子どもがいると言っただろう。覚えてるか?」
「ああ、セド? だっけ」
兄からかいつまんで聞いた地球での出来事はラウダにとって許しがたいことの連続だったが、当の本人であるグエルが驚くほど穏やかな顔で語るものだから飲み込みしかなくなった。あの日の苦味が口の中に広がるが、思考の隅に無理矢理追いやって記憶していた名前を出す。
「あいつがアスティカシアに来ることになったから、祝いに学園へ行ってきたんだ。その時せっかくだからキャンプしようってなって、そこへたまたまケレスさんが来たからコーヒーをご馳走した。それだけだよ」
グエルにとっては、本当に偶然だったのだろう。
エラン・ケレスの訪問が偶然だったかは定かではないが。
「セドのやつ、また背が伸びてたんだ。もうすぐお前ぐらいになるんじゃないか?」
「成長期ってやつだね」
「俺もお前も膝の痛みに泣いたなあ」
「兄さんは特に急に伸びたから」
確かに、と笑う兄を見つめながら、ラウダはここへ来た目的を果たそうと端末を開いた。
「レンブランのところからもデータは届いてると思うけど」
「ああ、頼む」
机上のスクリーンにこれまで取ったデータを写しながらガンド医療の進捗状況を説明する。テスターとして参加しているペトラの様子や、他の被験者の状況。装着したからすぐに使えるようになるものではなく、小さな動きから徐々にリハビリの内容を増やしていくこと。装着者本人の意思との接続。
実際に身近で見てきたラウダだから伝えられることも多い。書類上では分からなかったことがあればグエルが聞き、実例を交えてラウダが説明する。気付けば時間はあっという間に過ぎ、執務室の窓から差し込むライティングは夕焼けの色に変わっていた。
顔を上げたグエルは大きく腕を伸ばすとゆっくりと立ち上がった。
「コーヒーでも飲むか」
「兄さんが淹れてくれるの?」
「あまりにも秘書室に出入りしてたらこっちでも淹れられるようにしてくれたんだ」
苦笑しながら部屋の端に設置されたミニキッチンへ向かう兄の後をラウダも追う。
そこにはこじんまりとだが、グエルが自分で焙煎したのだろう豆やドリッパーなどがひとしきり揃えてあった。
「疲れた時に自分で淹れるのがいいんだよなあ」
「兄さんのコーヒー、久しぶりだね」
「お前は昔から平気だったよな、コーヒー」
「兄さんは父さんの真似してブラック飲んで、しょっちゅう噎せてたっけ」
「……忘れろ」
今じゃブラックでも飲めると呟いて、グエルはケトルを手に取った。
コポポ……と小さな泡を立てながら膨らんでいくと柔らかい香りが室内を漂う。疲れた体にしみわたる香りを深く吸い込んでから、ラウダはゆっくりと息を吐いた。
(――兄さんの匂いだ)
数ヶ月離れただけでこんなにも懐かしさを感じるなんて。
ソファに二人腰掛けて、グエルが背中を預け力を抜くのを隣で見る。こんなふうに肩肘張らずにいられる兄を見られるようになったのは、本当にここ最近のことだった。
株式会社GUNDAMとの提携を受け持つことは自分で決めたことだったけれど、先の戦いが一先ずの収束を見せてから三年間、がむしゃらに兄と二人走ってきた日々を思えばこの数ヶ月はどうしたって永く思えた。兄が自分を頼りに――甘えるのではなく、一人の伴走者として見てくれることも少しずつ増え、隣に立つことができたのだと自負するほどに、このままでいいのかという思いもあっての決断だったけれど。
最初の数日間はラウダよりもグエルから連絡が入ることが多く、密かに喜んでいた。ガンド医療を受けるテスターとして参加していたペトラも「グエル先輩、なんだか変わりましたね」と笑っていた。時折フェルシーも顔を見せてくれたから他愛ない話を兄に伝えることもあったが、その頃から徐々に兄からの連絡が減っていったような気がする。必要があれば業務連絡と称して通話もするが、あっさりと終わることも増えた。一人で対応する忙しさに小さな違和感を放置してしまったことを今更ながらに後悔する。
とはいえ、少しずつ提携事業も軌道に乗ってきたところだ。これからは長く家を空ける必要もなくなるだろうと、そんなことを話そうと口を開いた時だった。
「今後は向こうで暮らすのか?」
「うん。一緒にいようと思って」
淀みのない答えに、グエルの胸の内を切なさが過る。
「そうか……そうだよな。おめでとう」
「……うん?」
おめでとう? 今ひとつかみ合わない会話に、ラウダが首を傾げる。
「照れるな。ペトラとうまくいったんだろ?」
弟の恋路を喜ぶ兄らしい表情とやらを浮かべて笑うグエルに、ラウダの口元がひく、と引きつった。この兄はどうやらとんでもない勘違いをしているらしい。
「いや、ペトラとはそういうんじゃ……」
慌てた拍子に手にしたカップからコーヒーが跳ねる。
「今一緒にいるって言ったばかりだろ」
「それは、兄さんと……!」
「さすがの俺も二人の邪魔するつもりはないぞ」
そこまで鈍くないからな、と自慢げに言う姿はラウダがよく知るとてつもなく厄介で面倒くさい兄だ。
「……ちょっと待って。なんかすごい勘違いしてない? 兄さん」
「だから隠さなくていって」
「隠すも何も! 確かにペトラに告白されたけど、それも随分前の話だよ。それこそ学園に通っていた頃の。それに僕は断ってる」
「はあ? なんで?」
デリカシーのなさ。こういうところは二十歳を超えても相変わらずだ。
「僕の――ラウダ・ジェタークが欲しいのは、たった一人だからだよ」
「何、聞いてないぞ。俺の知ってる人か?」
「一生言うつもりなかったからね」
まるでコントだ。どこまでいっても平行線。墓までもっていくつもりだった気持ちは、いっそぶつけてみたところで何の変化も起こさないのかもしれない。――言ってみれば自棄になっていたのだ、ラウダは。
「でも今分かった。言わなきゃ一生気付いてもらえない。この気持ちがなかったものにされるって」
「……ラウダ?」
急に立ち上がった弟を見上げる形で、グエルは視線を上げた。学生の頃よりややシャープになった面影。前髪の影になった瞳の色は見えない。
「僕が愛してるのは、グエル・ジェターク。あなただ」
「俺も……お前のことは愛してるぞ」
「兄さん、もう気付いてるよね。逃げないで」
「――っ、逃げてなんて」
鋭い眼光がグエルの胸を貫く。あの日、宇宙で受けた傷のように。
「兄さんが僕のことを家族として大切にしてくれてるのは理解してる。この気持ちが間違っているのも。でも、」
思わず言葉に詰まる。
ここから先を告げたら後戻りはできない。
兄は優しいからきっと上手に距離を置いて離れていくのだろう。それでも、進まなければ得られないものがある。どれほど踏み出す足が震えていても、代わりに何かを失うのだとしても。
「僕は兄さんのこと、家族としても、それ以上の存在としても、愛しているんだ」
膝をつき、両の手で包み込む。その時、ラウダは兄の手が震えていたことに気付いた。
はっと顔を上げる。
「兄さん……」
くしゃりと、グエルの顔が歪む。泣きたいのか笑いたいのか、あるいは両方、はたまたそのどちらでもないのか。
「――ッひ、一人、で、家に…いると……昔のことばかり、思い出すんだ……っ」
途切れ途切れに、絞り出すように紡がれる声は、ラウダが知らないグエルの声だった。ああ、兄はこうやって独り抱え込んで飲み込んで、そうして誰に頼ることもなく生きるつもりだったのか。
自分の想像にぞっとした思いを抱えながらラウダはもう一度震える手を握る。冷えた身体に温度を分け与えるように。
「ねえ兄さん、もう一度僕ら家族になろう?」
二人だから、分けられるものがある。
あの日のラウダを受け止めたグエルのように、今度はラウダがグエルの抱えるものを分けて欲しかった。あの日の絶叫は決して子どもの癇癪などではない。唯一の「大切」に進んだ、悲痛なまでの願いだ。
「……俺はお前に頼ってばかりだな」
「今までが頑張りすぎだったんだよ。言っただろ、隣で支えるって」
ふ、とグエルはやわらかく笑う。
「そうだったな」
これからどうなっていくか、未来は分からない。
それでも隣に在るのなら、もう怖くはないと思えた。
「その……ラウダ……それ以上の存在ってのは、あー……なんだ、その、そういう関係も含」
「含めてだよ」
「即答か」
「どれだけ堪えたと思ってるの兄さん」
「そうは言ったって、二、三年とかだろ」
「十年だよ」
「じゅっ!?」
「僕の精通、兄さんだから」
「な……ッ!?」
「もう隠す必要ないから言うけど、兄さん昔から無防備すぎたんだよ」
「家族にそんなこと思われてるなんて考えないだろ!?」
「僕だってしようと思ってなったわけじゃないけど仕方ないだろ!」
「――あー、ちなみに、えー、その、どっちなんだ」
「兄さんを抱きたい」
「即答かあ……」
「……ダメ?」
「お前、分かってやってるだろ」
「うん」
「…………一週間くれ」
「っ、うん!!いくらでも待つよ!!」

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