僕と兄さんと珈琲と

兄さんの淹れるコーヒーが好きだ。
コーヒーなんて、小さい頃は好きじゃなかった。父さんは美味しそうに飲みながら「お前たちにはまだ早いな」なんて笑っていたけど、次の日から苦味に眉を顰めて無理矢理コーヒーを飲む兄さんが現れた。僕の前にはミルク入りのカフェオレ。いつもは兄さんとおそろいだったのに。
兄さんが父さんの真似をするのはいつものことで、当の本人も屋敷のメイドたちも微笑ましく見守るばかり。面白くないのは僕だけだった。
だから、父さんの真似をする兄さんの真似をして、僕もブラックでコーヒーを飲み始めた。おそろいじゃなくなるなら、僕が兄さんに合わせればいい。「ラウダにはまだ早いんじゃないか?」って兄さんは言ったけど、僕よりカップの中身が減ってなかったはず。同い年なんだから味覚も大して変わらなかったのだろう。全く、父さんは兄さんがどれだけ自分のことを好きか考えてからものを言ってほしかったものだ。
ともあれ、僕ら兄弟は好きでもないコーヒーをブラックで飲む習慣ができてしまった。

転機が訪れたのは、アスティカシアに入学する少し前のこと。
「ラウダ、ちょっといいか?」
「なに、兄さん。カリキュラムなら確認したよ」
「ああ違う違う、そっちは心配してないよ。そうじゃなくてこれ、ちょっと飲んでみてくれないか?」
兄さんが差し出したマグカップには黒い液体が半分ほど注がれている。表情の端に嬉しくなさが滲み出てしまったのか、兄さんは慌てて「ひとくちだけでいいから飲んでみないか?」と言った。兄さんが用意してくれたものなら泥水だって啜るけれど、あまり見ない様子に首を傾げる。それに、――
「いい匂い……?」
「っ、だろ!?」
ふわりと、近付いた途端に立ち上る薫りはこれまでに飲んだコーヒーとは違っていて、少し甘やかな感じだ。興味をそそられて手を出せば温かいマグが手渡される。くん、と鼻を近づけてみても癖がなく、爽やかなフルーツの薫りが広がった。
「……」
ほんの少し、口に含んでみる。兄さんがやけに真剣な顔でこちらを見ていた。
「…………どうだ?」
「おいしい……」
「ッ……しゃ!!」
思わずこぼした言葉に兄さんが拳を握る。ガッツポーズ? 不思議に思いながらも口にしたコーヒーがおいしくて飲みきってしまった。
「兄さん、これどこから取り寄せたの?」
これなら僕もおいしく飲めそうだと顔を上げたら、たいそう嬉しそうな兄の笑顔に出会った。小さい頃、秘密基地へ連れて行ってくれた時みたいな。
「俺だ」
「え?」
「俺が、自分で焙煎した」
「兄さんが?」
ふふん、と得意気に言うのがこの兄の可愛いところだ。でもその自慢につりあうほどのおいしさだから、僕は素直に称賛した。
「コーヒーって苦いだけで何がおいしいか分からなかったんだけど、こんなに薫り高いものなんだね」
「焙煎の深さで味も変わるからな。ラウダは苦味より酸味の強い方が好きだろ」
「……よく分かったね」
ちゃんと見てるからな、と笑う兄さんが眩しくて、ああ、この人が曇りなく生きられたらと思う。この家に縛られる限り無理な相談だけど。
「兄さん」
「ん?」
「すごくおいしいから、もう一杯飲みたいな」
空になったマグカップを見せて頼めば、僕の好きな笑顔がそこにはあった。

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